サッカーフィールド上の繊細な動き、一瞬の判断、独特のタイミング――これらは言葉にできるものでしょうか?
それともそれらは、単に体が自然に覚えた”非言語情報”なのでしょうか?
私が最近読んだ、長倉顕太氏の「非言語を言語化せよ」という本から学んだことは、私の世界を一変させました。サッカーのコーチングや、それ以上に広い視野から見た非言語的な情報の扱い方について、今まで考えたことのなかった視点を得ることができました。私が体験した驚きと共有したい思いを、皆さんと本日は分かち合いたいと思います。
「非言語を言語化せよ」長倉顕太著 を読んでみて
次は言語化ということで検索してみて出てきた本の1つ、
「非言語を言語化せよ」長倉顕太著
を読んでみての感想を書いておきます。この本を読んでみてまずなるほどと思ったのは
「非言語情報をたくさん浴びる」
ということです。これをサッカーで置き換えるとサッカーの色々な場面を見て感じるということだと思います。
そういう意味では今は昔と違ってたくさんのサッカーの試合を見ることができるので、実際に試合をみて色々感じることは多いと思います。昔は
「体で覚えろ」
とよく言われたものです。その言われた時は私は
「理屈でおしえてくれ!」
と内心、結構否定的だったのですがこの体で覚えるというのも、一生懸命、体を動かすという意味だけではなくて全身を使う、つまり、目で見えたり耳から聞く他の人の言葉などを聞くという意味で、体全体で情報をとらえてそれを総合的に学ぶということは真なのかなと思います。
普通のセミナーなんかも最近はオンラインが多いですが実際は、直接そのセミナーに参加して、実際にその人の前で息遣いが聞こえるくらいの距離で聞く方が全く違う感じでその内容が頭に入ってくる、という体験をいくつもしています。
ですから私は実際にその場に行って体験するということを重視しています。席は可能である限り前方に座ります。
その意味では子供さんをお持ちの方なんかは実際の試合にいっぱい連れてくのがいいのかなと思います。この点はメリットデメリットはあると思います。どういうことかというとオンラインで行けば行く時間等が取られないのでその分、数をこなせるという意味があります。そういう意味で多くの試合を見るということはオンラインでして、それでも不足する部分、特に一流の繊細さに気づくためには、直接見る方が体に染み入るように何かを感じることができるので直接見に行くことがいいと私は思っています。
「言語化のメモリを細かくしろ」
2つ目にあなるほどと思ったのは感情のメモリを細かくしろ、というところです。
確かにサッカーでも例えばトラップするというボールを止める行為において一般の人にとっては
「止める」
というのは
「ただ止める」
ということであって、それ以上でもそれ以下でもありません。だけどその止めるという行為に対して感じるメモリが細かくたくさん刻んでくるようになると、例えば
「今のトラップは30cmずれた」
とかなるわけです。
ところがその30cmという感度が精度が良くなってくるとこんどは、
「30cmが今度は3cmになってくる」
わけです3cmの精度でできてくると今度は早いスピードでも3cmでできるか細いスピードなら3cmでできるけど早いスピードになると30cmになるなどといったことが起きてきます。
そういった意味では感度のメモリを上げるという意識はとても重要なように思います。結局プロというのはこの感度のレベルを細かく設定して一般人が1と思うところを10感じることができているのだろうと思います。
これはサッカーという点では私は偉そうに言えませんが多分おそらく社会人の皆さんであれば経験あると思いますが新人が入ってきた時にこの新人は何も見えてないなと思う出来事がよくあると思います。それと同じだと思います一応聞いて10わかるのがあなただとすると新人はその状況に何も感じることができないので1は、1でしかないのです。
そのことに気づいたとしたらこれはサッカーにも応用して全ての技術において感度のメモリを細かくして技術レベルを上げていきたいものです。